2021年3月28日日曜日

保存会便り第105号

「ほっとするまち畦町」づくりを応援しますーМ子

◆4月の行事

◎4月1日
 保存会便り105号発行
◎4月6日
畦町遺跡(津日駅跡)礎石探し3回目
9時公民館集合~午前中
◎4月12日 14時 西法寺
第5回睡蓮忌世話人会
◎「ご苦労さんそばの会」
4月11日
1.2組 11時半・畦町公民館
4月18日
3.4組 同上
4月25日
5.6.7組 同上
◎4月4日頃
春そばハザ引き・中打ち
9時公民館前集合

◆春そば種まきーソバボランティア大活躍―

3月14日、好天に恵まれて、春そばの種まきを行いました。

10時に畦町公民館に集合し、11時半ごろまで、約30人の会員+ソバボランティア多数にて作業。天満宮下の田んぼ三ヵ所と、お宮横の畑1ヵ所、併せて1反ほどに、1畝2条で種を蒔き、軽く土を被せました。

最期に天満宮下の田んぼ脇で「集合写真」。ご覧のように当日は4人のかわいい子供達もやってきて、「元気」をくれました。

ソバボランティアは只今25名。遠くは福岡市・北九州市よりのご参加。シニアあり、ヤングあり、子供連れあり。特典は「新そば試食会ご招待」のみですが、みなさん生き生きです!都合の悪い日は「パス」で結構、どうぞ「ほっとするまち」畦町の「そば栽培」にあなたも。

畦町遺跡(津日駅跡)の礎石探し!―2回目―発見かも?

3月9日の火曜日、福津市役所文化財課の松永さんと保存会有志の計8名で2回目の「礎石探し」に挑戦。9時から、およそお昼まで。今回は中町の小田善彦さん宅から出発し上町方向へ、街道のお祇園様側を探索しました。

まず、最初の小田さんの宅地で、「礎石」らしい花崗岩の石を発見!挿入の写真がそれです。手前側が削られていますが、ほぼ凸の部分が確認できます。松永さんは「礎石ではないかと思われますが、思い込みもあるかも知れないので、別の専門家に見てもらいます」とのお話。

岩熊徹さん宅は裏の敷地が広いし、お祇園様池側に長い石垣があって時間がかかりました。礎石らしいものはありませんでしたが、畑の通路から、中世のものと思われる「瓦」の破片が出ました。

お昼前に「まとめ」をして解散したのですが、その後、松永さんがもう1か所調べて「手ごたえのある石」があったとのこと。

次回の「礎石探し」は4月6日(火)。ご希望の方は9時に畦町公民館前においで下さい。3回目は井上さん宅地から出発し天満宮側の上町方面を予定。

平城京・平安京時代の昔に触れる一大ロマン、あなたもどうぞ!軍手・運動靴・タオル持参がよろしいです。

「畦町まるごと植物園」―花ボランティア募集―

3月14日、「畦町まるごと植物園」チームが「花の種まき」作業をしました。一ヵ所はお宮(八幡宮)の裏の旧ソバ畑で、マリーゴールドとキンセンカの種を2条蒔きで1畝に。これは苗を育てて現在39か所に置いている「プランター花壇」の植え替え用になります。

もう一ヵ所はお宮境内の桜の下、草地の「土起こし」。ここにはミックスフラワーの種を蒔いて「畦」の花文字を「描き出す」予定ですが、この日は「土起こし」作業まで。3月25日に、チームとボランティアで種まきをします。

保存会では「畦町まるごと植物園」の花を育てたり、お世話をしたりのために「花ボランティア」を募集します。お手伝いができる時だけで、結構。ぜひ、名乗りをあげて下さい。希望の方は事務局または末廣隆さんまで。

日本ミツバチ飼育孤軍奮闘記(19)-週末養蜂家  藤野孝太

人間と日本ミツバチとのコミュニケーションは可能だろうか?私は、限定的にだが「可能」と言いたい。

日本ミツバチは人間を識別することができると以前に書いた。また日本ミツバチを手に乗せて友達になった後であれば、ハチミツを採取しても刺されない。

日本ミツバチは敵と味方を認識することができ、味方と見れば攻撃することはないのである。敵と味方を認識する方法は「匂い」だ。だから私の匂いを覚えてもらうために、巣箱に少しずつ近づき、巣門の前に手を差し出す。するとミツバチは最初、お尻からフェロモンを出し警戒態勢に入る。日本ミツバチの腹部の先端が白くなることで警戒していることが分かる。

勇敢な一匹のミツバチが手にさりげなく一瞬触れる。こちらの出方を伺っているのである。ここで手を動かし振り払おうものなら、ミツバチは攻撃態勢に移る。私は手をリラックスさせつつ動かさない。しばらくすると日本ミツバチは手に上ってくる。ミツバチが私の匂いに対して警戒を解いた証である。日本ミツバチを飼う場合、定期的にこの挨拶はしておいたほうがよい。日本ミツバチと挨拶を交わさず巣箱の蓋を乱暴に開けると、攻撃されることがある。これは私を敵と見なしているのだ。

人間がミツバチに対して乱暴に振る舞えば、ミツバチも怒るし、体当たりや攻撃をしてくる。きちんと挨拶すれば仲良くなれる。これが人間とミツバチのコミュニケ ーションだと思う。

ある夏のことだ。室見のとある神社のベンチに座っていた。どこからともなく一匹の日本ミツバチ飛んできた。私の周りを飛んでいる。興味があるようだ。私はリラックスして座り、「かわいいね。おいで」と手を差し出した。ミツバチは手に止まり、汗をしきりに舐めていた。しばらくしたら何処かへ飛んでいった。この一期一会の交流に心が温かくなった。

次号に続く・・・

ジャガイモの記憶 2021 3.11の翌日 佐々木勉―宮城県生まれー記

東北の梅雨も明けて夏休みに入った頃、畠でジャガイモ掘りの手伝いを、小学生の私は毎年していた。全てが乾いた日差しと、イモの生のエグミと土の蒸す香りに耐えて。帰りには母ちゃんから雑貨屋でアイスキャンデーと新しい釣具をご褒美に買ってもらう事を楽しみに。

2011年の東日本大震災前から、ほとんど見捨てられ、原発事故が象徴するように、地も人も人として扱われず、今もって見捨てられた東北の人々。福島の白河以北は一山百文ひとやまひゃくもんといわれ、どうでもよい地域と思われて来たふしがある。(地元新聞『河北新報』の創刊の由来はこれである。つまり全てに価値がない土地と人とさげすまれても人々の魂は豊かで熱いという気概を示している。)

某前総理が「アンダーコントロール」と宣言しオリンピックを誘致した時は「オダズナョ!(ふざけるな。馬鹿にするな。の意の東北弁。)と叫んだ。同時に強い怒りがあってもやり場のない悲しさを覚える時に使う言葉である。

原発は東京に。汚染水の袋もどうぞ東京に。広い皇居と総理の敷地に置いて様子をみたら良かろう。この10年どうでしたかと問われても東北の人に言葉は無い。頑張ろうと云われずとも、精魂尽き果てる程、東北人は頑張って来た。

ひと昔前は、中卒の金の卵。高度成長期は云うに及ばず、父ちゃんの出稼ぎでしか糊口ここうをしのげず。更に前は女子供を身売り迄して生きて来た土地。大震災前は若者など当然に出て行き、年寄りだけが居た街や村。それでも良いのだ。15、6mもの防波堤など要らぬ、その大金は各自治体に配り、好きなように使わせたら良いのだ。

大震災の効用は唯一つ。東北の地や人が内包する豊かさを知り、移住しようと志す若者が一人二人と集まって来たことであろう。住みついて地元の人とその文化を継ぐ人が増えることだけが真の復興なのです。

単なる数や金の問題ではないことを日本人は知るべきだ。マスコミを始め、3.11のお祭り騒ぎはやめて、しっかりと本当にやるべきことをやれと言いたい。日本を真当な国にするのは一人ひとりの志だけなのだから。

何の関係もないような顔をして、九州の地、畦町で、ワリカン隊は2月28日(日)、15名の参加でジャガイモ種を植えた。イモの匂いをかぐと、亡き母の汗の笑顔と。ご褒美のアイスキャンデーの味を想い出す。遠く離れていてもこころは故郷につながっているよと。


第105号 2021.4.1 事務局 畦町368 岩熊寛 方
☎080-9244-5128 メール hirohiro@jt2.so-net.ne.jp
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