2021年4月27日火曜日

保存会便り第106号

「ほっとするまち畦町」づくりを応援しますーS生

◆5月の行事

◎5月1日
 保存会便り106号発行
◎5月11日 9時~午前中
畦町遺跡(津日駅跡)礎石探し4回目
公民館集合
◎5月15日 19時~
第8回唐津街道畦町宿祭り実行委員会1回目 畦町公民館
◎5月16日
岡垣町郷土史研究会総会にて「ほっとするまちづくり」講演(事務局長)
*「ご苦労さんそばの会」
未定

◆春そばハザ引き・タケノコ茹で!

4月11日は「春そば」のハザ引き・土寄せ作業の日。公民館前9時集合で、いつものソバボランティアの皆さん多数に、地元保存会有志が集合。

ソバの種は3ヵ所の畑・田に蒔いていたのですが、天満宮下の2つの田んぼがほとんど発芽していませんでした。お宮横の畑だけでは、ソバボランティアの皆さん「がっかり」するぞと、保存会有志は、今が旬の「タケノコ茹で」のオプションを設定。

タケノコは小田勝幸・同雄一さん提供。茹でる大鍋は畦町宿祭りのダブで使用するものを準備。焚き物の材は造園業の松井律夫さんが調達。役割分担見事で、写真のようにソバボランティアタケノコ班が生き生きと「タケノコ茹で」に参加、35本程を茹で上げました。

他方、ソバボランティアハザ引き班の方は八幡宮横のソバ畑で、せっせと活動。目標達成。最後に全員公民館前に全員集合。各人、茹でたタケノコがお土産で大喜びでした。

畦町遺跡(津日駅跡)の礎石探し4回目、5月11日実施します!

4月6日の火曜日、3回目の「礎石探し」に挑戦しました。この日は東構口、天満宮横の櫻井・徳丸さん両家方からスタートして西方に下り、春岡さん方までを探索。残念ながらこの日は「アタリ」らしき石には出会いませんでした。

参加者は文化財課の松永さんを含めて10名。それぞれのお宅の、特に裏庭に入ると全くの「探検気分」。子供の頃によく遊びに来たなぁ」・「この小道を通って上っていくと天満宮の石段の脇に出られたもんや」・「昔はこんなに藪になっていなかったのに」・「畦町にずーと住んどうばって、ここに入るの初めてや」などなどと大盛り上がりでもありました。

礎石らしきものは見つけられませんでしたが旧笹田さん宅裏の竹藪から珍品の大発見。それは写真の「酒徳利」。五合徳利でしょうか。写真で読めますね「銘酒 千代の寿」。残りの3方にも「中村酒造塲」・「宗像郡上西郷村」・「電話畦町五番」とあります。

畦町・本木・上西郷・内殿・舎利蔵が合併して上西郷村となったのは明治22年(1889)。そんなところまでさかのぼるとは思いませんが、「電話畦町五番」とはかなり古そう。

中村酒造のお酒といえば「松鶴」で二級酒。昔、一升瓶の実物も見ました。そして「千代のナントカ」という、値段の高い一級酒?があったとうっすら記憶。「千代の寿」はそれですね。今、お酒造りはしてありませんが家屋は現存する「中村酒造場の歴史」を証言する酒徳利です。

この記事最初の写真は2回目に発見された2個目の「礎石」らしき石。1個目の石及び瓦の破片と共に、文化財課を通して只今「鑑定中」!下記の4回目の「礎石探し」を含めて、礎石発見の成果につなげたいものです。

★第4回礎石探し  時 5月11日火曜 9時より午前中 集合場所 畦町公民館前  ご希望の方は当日どうぞおいで下さい。

「ごくろうさんそばの会」スタート!

11・18・25日と3回実施

打ち手のみなさんおいしい「畦町そば」ありがとう。1組~7組までが終了しました。

★ブラジルの国花「イペー」の花が畦町で咲きました!

「イペー」はノウゼンカズラ科タベブイア属の顕花植物です。みんなが知っているノウゼンカズラはつる性ですが、イペーは落葉する樹木で高い木に育ち、春から秋、見事なラッパ状の花を咲かせます。花色は、主に黄色やピンク、紫色。

原産地はブラジル、アルゼンチンなどの南米地域で街路樹・公園の植え込みなどに使われていて、ブラジルでは国花。

保存会の「畦町まるごと植物園」チームが畦町に根付かせようと2本を購入、現在チームリーダーの末廣さんが鉢で育成中ですが、写真のように「黄色の見事な花」を咲かせました。寒さに弱いのでもう少し大きく育て、「まずは公民館玄関にでも飾ろうか」との末廣さん談。

★ワリカン隊、ジャガイモ作業・玉ねぎ収穫!

4月18日、いい天気の下、15名が参加してお宮の裏の小田善彦さん所有の畑で、ジャガイモの芽かき・草取り・追肥の作業をした後、極早生タマネギ2000本も収穫しました。

タマネギは早速その場で隊員と指導者の全員分に平等に分配されました。これだけあれば皆さんしばらくはタマネギ尽くし。

ワリカン隊員は現在指導者2名。隊員16名。植え付けるシーズンごとに経費を徴収するやり方で活動中。

畑はしたいけれど、場所もない、一人で作る自信もないし…と躊躇している皆さん、気軽に参加してください、大歓迎です。

畦町地名考4―「つゆじゃく」ーの思い出④・高村先生その3―畦町太郎

高村医院といえば誰でも旧郡屋前の病院(跡地は現在、藤岡さん宅となっている)を思い出すが、畦町での医者としての高村家は、前回記したように明治10年頃、直嗣先生の父、高村登四郎が「街道からはいりこんだ横町の、竹やぶの側に小さな家を借りて開業した」に始まる。

その家は今存在しないが、中町の井浦国夫さんの宅地の農機具類倉庫の場所が該当する。倉庫の手前に、登四郎家が使っていた井戸(結構大きい)が、上の写真のように現存している。この井戸から水を汲んで登四郎一家が生活していたのかと思えば、感慨深い。

もう1枚は高村登四郎一家の集合写真。前列中央、和服で正装している髭の人物が登四郎。春達と号していた。向かって左の和服の女性が奥様と推測される。登四郎夫人の名前は曾孫さんの証言で「マセ」と判明した。

*次回へ

日本ミツバチ飼育孤軍奮闘記(20)-週末養蜂家  藤野孝太

日本ミツバチの分封時期になったが、今年は偵察蜂が一匹も来ない。アカリンダニや病気の蔓延でこの辺の日本ミツバチが減っているのかもしれない。ダニや病気に耐性のある日本ミツバチの存在を期待し、増加を待つしか無いようだ。日本ミツバチの捕獲成功体験の感動的な記事を書こうと思ったが、ネタ不足になった。そこで他のテーマを書くことをお許しいただきたい。

小学校低学年の頃、私は虫博士と言われていた。自宅近くの野原で一日中昆虫を観察していたから虫に詳しかった。その小学生は、ある疑問を持った。それは「カマキリやバッタは何のために生きているのか?そしてこの私はなんのために生きているのか?」という疑問だった。そして「そうか!この目的が分かりさえすれば、人生に迷わなくていいんだ」と喜び勇んで家に帰り、親に尋ねた。しかし「そんなことは考えなくていいよ。大人になったら分かるからね」とごまかされた。子どもだったが、この疑問は解かねばならないと決意した。

私が持った疑問はつまり「生命の目的とは何か」ということだ。けっこう壮大なテーマなので、数回に分けて論じたいと思う。

一口に生命といっても、動物や植物などの肉眼で確認できる大きなものから、肉眼では確認できない単細胞生物やウイルスのような小さなものもある。また宇宙人や幽霊、神々が、もし存在するならば、「彼ら」も何らかの生命と言えるだろう。しかし、私には今のところ観察不可能な対象なので、「彼ら」は考察するテーマから除外する。

次号に続く・・・。


第106号 2022.5.1 事務局 畦町368 岩熊寛 方
☎080-9244-5128 メール hirohiro@jt2.so-net.ne.jp
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2021年3月28日日曜日

保存会便り第105号

「ほっとするまち畦町」づくりを応援しますーМ子

◆4月の行事

◎4月1日
 保存会便り105号発行
◎4月6日
畦町遺跡(津日駅跡)礎石探し3回目
9時公民館集合~午前中
◎4月12日 14時 西法寺
第5回睡蓮忌世話人会
◎「ご苦労さんそばの会」
4月11日
1.2組 11時半・畦町公民館
4月18日
3.4組 同上
4月25日
5.6.7組 同上
◎4月4日頃
春そばハザ引き・中打ち
9時公民館前集合

◆春そば種まきーソバボランティア大活躍―

3月14日、好天に恵まれて、春そばの種まきを行いました。

10時に畦町公民館に集合し、11時半ごろまで、約30人の会員+ソバボランティア多数にて作業。天満宮下の田んぼ三ヵ所と、お宮横の畑1ヵ所、併せて1反ほどに、1畝2条で種を蒔き、軽く土を被せました。

最期に天満宮下の田んぼ脇で「集合写真」。ご覧のように当日は4人のかわいい子供達もやってきて、「元気」をくれました。

ソバボランティアは只今25名。遠くは福岡市・北九州市よりのご参加。シニアあり、ヤングあり、子供連れあり。特典は「新そば試食会ご招待」のみですが、みなさん生き生きです!都合の悪い日は「パス」で結構、どうぞ「ほっとするまち」畦町の「そば栽培」にあなたも。

畦町遺跡(津日駅跡)の礎石探し!―2回目―発見かも?

3月9日の火曜日、福津市役所文化財課の松永さんと保存会有志の計8名で2回目の「礎石探し」に挑戦。9時から、およそお昼まで。今回は中町の小田善彦さん宅から出発し上町方向へ、街道のお祇園様側を探索しました。

まず、最初の小田さんの宅地で、「礎石」らしい花崗岩の石を発見!挿入の写真がそれです。手前側が削られていますが、ほぼ凸の部分が確認できます。松永さんは「礎石ではないかと思われますが、思い込みもあるかも知れないので、別の専門家に見てもらいます」とのお話。

岩熊徹さん宅は裏の敷地が広いし、お祇園様池側に長い石垣があって時間がかかりました。礎石らしいものはありませんでしたが、畑の通路から、中世のものと思われる「瓦」の破片が出ました。

お昼前に「まとめ」をして解散したのですが、その後、松永さんがもう1か所調べて「手ごたえのある石」があったとのこと。

次回の「礎石探し」は4月6日(火)。ご希望の方は9時に畦町公民館前においで下さい。3回目は井上さん宅地から出発し天満宮側の上町方面を予定。

平城京・平安京時代の昔に触れる一大ロマン、あなたもどうぞ!軍手・運動靴・タオル持参がよろしいです。

「畦町まるごと植物園」―花ボランティア募集―

3月14日、「畦町まるごと植物園」チームが「花の種まき」作業をしました。一ヵ所はお宮(八幡宮)の裏の旧ソバ畑で、マリーゴールドとキンセンカの種を2条蒔きで1畝に。これは苗を育てて現在39か所に置いている「プランター花壇」の植え替え用になります。

もう一ヵ所はお宮境内の桜の下、草地の「土起こし」。ここにはミックスフラワーの種を蒔いて「畦」の花文字を「描き出す」予定ですが、この日は「土起こし」作業まで。3月25日に、チームとボランティアで種まきをします。

保存会では「畦町まるごと植物園」の花を育てたり、お世話をしたりのために「花ボランティア」を募集します。お手伝いができる時だけで、結構。ぜひ、名乗りをあげて下さい。希望の方は事務局または末廣隆さんまで。

日本ミツバチ飼育孤軍奮闘記(19)-週末養蜂家  藤野孝太

人間と日本ミツバチとのコミュニケーションは可能だろうか?私は、限定的にだが「可能」と言いたい。

日本ミツバチは人間を識別することができると以前に書いた。また日本ミツバチを手に乗せて友達になった後であれば、ハチミツを採取しても刺されない。

日本ミツバチは敵と味方を認識することができ、味方と見れば攻撃することはないのである。敵と味方を認識する方法は「匂い」だ。だから私の匂いを覚えてもらうために、巣箱に少しずつ近づき、巣門の前に手を差し出す。するとミツバチは最初、お尻からフェロモンを出し警戒態勢に入る。日本ミツバチの腹部の先端が白くなることで警戒していることが分かる。

勇敢な一匹のミツバチが手にさりげなく一瞬触れる。こちらの出方を伺っているのである。ここで手を動かし振り払おうものなら、ミツバチは攻撃態勢に移る。私は手をリラックスさせつつ動かさない。しばらくすると日本ミツバチは手に上ってくる。ミツバチが私の匂いに対して警戒を解いた証である。日本ミツバチを飼う場合、定期的にこの挨拶はしておいたほうがよい。日本ミツバチと挨拶を交わさず巣箱の蓋を乱暴に開けると、攻撃されることがある。これは私を敵と見なしているのだ。

人間がミツバチに対して乱暴に振る舞えば、ミツバチも怒るし、体当たりや攻撃をしてくる。きちんと挨拶すれば仲良くなれる。これが人間とミツバチのコミュニケ ーションだと思う。

ある夏のことだ。室見のとある神社のベンチに座っていた。どこからともなく一匹の日本ミツバチ飛んできた。私の周りを飛んでいる。興味があるようだ。私はリラックスして座り、「かわいいね。おいで」と手を差し出した。ミツバチは手に止まり、汗をしきりに舐めていた。しばらくしたら何処かへ飛んでいった。この一期一会の交流に心が温かくなった。

次号に続く・・・

ジャガイモの記憶 2021 3.11の翌日 佐々木勉―宮城県生まれー記

東北の梅雨も明けて夏休みに入った頃、畠でジャガイモ掘りの手伝いを、小学生の私は毎年していた。全てが乾いた日差しと、イモの生のエグミと土の蒸す香りに耐えて。帰りには母ちゃんから雑貨屋でアイスキャンデーと新しい釣具をご褒美に買ってもらう事を楽しみに。

2011年の東日本大震災前から、ほとんど見捨てられ、原発事故が象徴するように、地も人も人として扱われず、今もって見捨てられた東北の人々。福島の白河以北は一山百文ひとやまひゃくもんといわれ、どうでもよい地域と思われて来たふしがある。(地元新聞『河北新報』の創刊の由来はこれである。つまり全てに価値がない土地と人とさげすまれても人々の魂は豊かで熱いという気概を示している。)

某前総理が「アンダーコントロール」と宣言しオリンピックを誘致した時は「オダズナョ!(ふざけるな。馬鹿にするな。の意の東北弁。)と叫んだ。同時に強い怒りがあってもやり場のない悲しさを覚える時に使う言葉である。

原発は東京に。汚染水の袋もどうぞ東京に。広い皇居と総理の敷地に置いて様子をみたら良かろう。この10年どうでしたかと問われても東北の人に言葉は無い。頑張ろうと云われずとも、精魂尽き果てる程、東北人は頑張って来た。

ひと昔前は、中卒の金の卵。高度成長期は云うに及ばず、父ちゃんの出稼ぎでしか糊口ここうをしのげず。更に前は女子供を身売り迄して生きて来た土地。大震災前は若者など当然に出て行き、年寄りだけが居た街や村。それでも良いのだ。15、6mもの防波堤など要らぬ、その大金は各自治体に配り、好きなように使わせたら良いのだ。

大震災の効用は唯一つ。東北の地や人が内包する豊かさを知り、移住しようと志す若者が一人二人と集まって来たことであろう。住みついて地元の人とその文化を継ぐ人が増えることだけが真の復興なのです。

単なる数や金の問題ではないことを日本人は知るべきだ。マスコミを始め、3.11のお祭り騒ぎはやめて、しっかりと本当にやるべきことをやれと言いたい。日本を真当な国にするのは一人ひとりの志だけなのだから。

何の関係もないような顔をして、九州の地、畦町で、ワリカン隊は2月28日(日)、15名の参加でジャガイモ種を植えた。イモの匂いをかぐと、亡き母の汗の笑顔と。ご褒美のアイスキャンデーの味を想い出す。遠く離れていてもこころは故郷につながっているよと。


第105号 2021.4.1 事務局 畦町368 岩熊寛 方
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2021年2月25日木曜日

保存会便り第104号

「ほっとするまち畦町」づくりを応援しますー有田

◆3月の行事

◎3月1日
 保存会便り104号発行
◎3月2日 19時
 保存会役員会
◎3月9日 9時公民館集合~午前中
畦町遺跡(津日駅跡)礎石探し2回目
◎3月14日 10時から午前中
春そば種まき 畦町公民館集合
◎未定
花の種まき

◆蚕博物館に「宝箱」と説明板設置!

新聞やテレビの取材で思わぬ人気となっているお祇園様の「世界一小さな蚕博物館」にまたまた新名物の「宝箱」が。

ダイワンの櫻井ミヤエさんから貴重な「絹織物」を寄贈して頂きました。せっかくなので、会員の佐々木勉さんの奥様に写真のようにきれいな「宝箱」を手作りしてもらって、説明板と共に先日展示。どうぞご覧になって「昔の暮らし」の一端を感じて下さい。

―説明板文言(一部略)―

畦町で養蚕が始まったのは明治末 (1900年ごろ)と思われます。

お蚕さんを飼っている農家は、蚕に繭を作らせそれを出荷しました。その時に「できの悪い繭」が出ます。農家はそれをえり分けて集め、自分の家で絹糸にして、絹布に織りました。一反 (3m80cm)織るのに、およそ二か月かかったといいます。

娘が嫁入りする時に、その絹布を持たせます。嫁ぎ先で、必要な折にそれを染めて着物に仕立てるのです。この絹布は、櫻井ミヤエさんのお姉さん、吉武キヌさんが、昭和10年ごろに用山(もちやま)の実家で織って、持たせてもらったものだそうです。

「この博物館で大事に使って」とミヤエさん。昔は「生活に必要なものは、自分たちで作る」のが「ふつうのくらし」でした。とても大事な生き方ですね。

2月9日―畦町遺跡(津日駅跡)の礎石探し!―2回目は3月9日

前号でお知らせした「礎石探し」。奈良・平安時代、1000年以上も前のお役所跡を探すという大ロマンその1。2月9日9時から、およそお昼まで、やりました。

参加人員11名。市役所文化財課の松永さんの「説明」を受けて、中町290番地の小田さん・291、2番地の安永さん(町筋からお大師様へ上がって行く横道や宅地)から開始。横道を登ると、町筋より一段高くなっている、通称「ウエンダン」、つまり「上の段」ですね。ここに当時「公の建物」があったに違いないと思われる場所。写真のように、松永さんのやり方を見ながら、みんなで石を触ったり、表のごみを払ったり、溝をのぞき込んだり、石垣の割れ目から指を差し込んでみたり。

294番地の井浦さん方ではご当主の配慮で家の床下まて「探索」させてもらうことができて、松永さん、懐中電灯持参で「もぐりこみ」、土まみれ。「石探し」は思ったよりも細かな作業で、結局この日「探索」できたのは5軒ほど。

しめくくりでの松永さんのお話では「細かな検討が必要だが、可能性があった所も」とか。寒かったけれど、参加者はワクワクでした。2回目は3月9日火曜日、9時より。公民館集合です。午前中かかる積りで、どなたでもどうぞ。

この人ダーレ?昭和10年ごろ?畦町出方の集合写真

下の写真、会員の小田勝幸さんから提供されたものを本村友和さん(写真修正のプロ・会員)に「見やすく」してもらいました。昭和10年頃の「出方(でかた・共同作業)」での集合写真。上町の保存会掲示板に貼りだしています。写真の人物、心当たりがあったら事務局まで知らせて下さい。あなたの身内が写っているかも。

写真をクリックまたはタップすると、より鮮明な画像をご覧いただけます。

写真をクリック・タップするとより鮮明な画像をご覧いただけます。

★春そばの種まきー3月14日!

春そばの種まき、作業日が決まりました。

時 3月14日(日) 午前10時より午前中
集合場所 畦町公民館前
服装・道具 農作業の出来る格好で三角鍬があれば持参。
🔶ソバボランティアのみなさんは、都合の悪い方のみご連絡を。
🔶そばの種まきをしてみたい、という方はどなたでも参加できます。

★「くいしんぼう」の鵜、危機一髪!

2月19日、午後0時「傷ついた黒い鳥が公民館横にいる!」とご近所さんより通報、見に行くと鵜でした。近くにフナやドンポ、カワムツなど吐き出していました。腹一杯で上手く飛べず、電線に引っ掛かり 翼を傷めたものと思います。

電柱の上からカラスが狙っていたので、川の中まで追い立て避難させました。

こちらが鵜が吐き出していた、「びっくり」の川魚。ホント、くいしんぼう鵜だなぁ。

(報告者 小田雄一)

日本ミツバチ飼育孤軍奮闘記(18)-週末養蜂家  藤野孝太

人間はミツバチを利用して、ハチミツを収穫している。しかし別の見方もできる。ミツバチは、ハチミツで人間を釣って利用している。ミツバチは甘いものを使って人間を利用し、自分たちの生存域を拡大させ、また外敵から守らせているのである。

西洋ミツバチはオオスズメバチがいる日本では生存が不可能だが、人間が守ることによって、生存が可能となる。また、人間はミツバチが好きな蜜源植物を植えたり、冬場はエサをあげたりしながら、西洋ミツバチを大事に守っている。

他方で金魚などのことを考えると面白い。あのズングリしたフワフワと泳ぐ魚は、自然界であれば一瞬で捕食され、絶滅しているはずだ。しかし、金魚は自然界ではなく人工の水槽という空間へ生存域を広げた。よりズングリとした、よりかわいらしいフォルムの遺伝子こそが、人間を魅了し、生存域を拡大させたのだ。人間は「金魚を飼っている」と言うが、金魚に言葉があるなら「人間を利用している」というのではないだろうか。

かわいい犬や猫、かっこいいクワガタムシ、きれいな花、美味しい果物など様々な生物が、人間の欲望を巧みに刺激し、利用し、生存を勝ち取ってきたということを考えると、わたしたち人間は「好きにさせられ、飼わされている」のではないかと思うことがあるのだ。                  

次号へ続く・・・

畦町地名考3―「つゆじゃく」ーの思い出③・高村先生その2―畦町太郎

高村直嗣先生の父は高村登四郎先生で、写真の人物。畦町の人ではない。彼が医者として畦町に住みついたについては、名著、『健保の源流―筑前宗像の定例―』(井上隆三郎)にその次第が紹介されている。

―流れついた夫婦者―

曲がりくねった田舎道がある。その道は通称、殿様道。黒田の殿様が参勤交代で江戸に上り下りした道でもある。山や畑ばかりのその道筋に、忽然(こつぜん)として一握りの人家が現れる。宗像郡畦町の宿という。

明治十年ごろー。鹿児島で西南戦争が起こり、筑前の街道筋は往来する人も多く、畦町の宿もにぎわっていた。人々は急がしげにこの街道を通りすぎて行ったが、そこに、ある若い夫婦者が流れついた。夫婦者は戦争とも関係ないらしく、「遠賀の堀川すじからきて、福岡の城下町に向かう」ということであったが、福岡に当てがあるわけでもないらしかった。彼らは毎日懐手をしてぶらぶらしていた。不審に思った宿場の人が、「お前さん、何か渡世の道は知っていなさるのかね」と、若い夫に尋ねると、「別に渡世の方法は知らない」という。しかし「父は黒田藩の御典医。だから見よう見まねで、脈ぐらいはわかる」と、妙なことをつけ加えた。正確には「御典医」は「お匙(さじ)」と言わねばならぬ。しかし、古老の伝承によって典医としておこう。どうもこの若者は、親の気にいらぬ自由恋愛をして、勘当になったものらしく、妻の里の遠賀にも居づらくなったというわけらしい。

ところで、畦町には医者はいなかった。 そして、そのころ、明治政府は漢方を廃し、西洋医学による医師の開業免許制度を定めた。したがって、見よう見まねでは、もう医師として認められなくなっていた。しかし、背に腹は替えられない。医者がいなくて困っていた宿場の人は、この若者を医師として遇することにした。この若者は、街道からはいりこんだ横町の、竹やぶの側に小さな家を借りて開業した。彼は高村登四郎といった。              


第104号 2021.3.1 事務局 畦町368 岩熊寛 方
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2021年1月26日火曜日

保存会便り第103号

「ほっとするまち畦町」づくりを応援しますー遠藤

◆2月の行事

◎2月1日
 保存会便り103号発行
◎2月第2週
畔町遺跡(津日駅跡)礎石探し(日時は有線放送でお知らせします)
◎2月14日
井上勝次追悼第5回睡蓮忌世話人会スタート
◎日時未定
春そば種まき(3月14日予定)の準備作業―耕耘・肥料散布など

◆「玉子フワフワ」チラシできました!

江戸時代の蘭学者・浮世絵師の司馬江漢が天明9(1789)年、畦町宿の問屋(といや・畦町369番地)に宿泊して夕飯に食べた玉子料理「玉子フワフワ」。

保存会ではその復元にチャレンジし、2018年の畦町宿祭りのバンコ市で参加者に初提供。2019年は専門チーム「ふわふわ会(代表小室愛子)」を作ってさらに腕を磨き、同じくバンコ市で大好評となりました。

2020年の畦町宿祭りはコロナ感染症で実施できませんでしたが、「誰にでも気軽に玉子フワフワができるよ」とレシピや歴史をまとめた両面刷りのチラシを作りました。

畦町の方には民会の折にでも配布できればとお願いする予定。

ご希望の方は事務局にご連絡下さればお渡しします。

江戸時代のセレブ料理「玉子フワフワ」あなたも作ってみませんか?

◆ソバボランティア新そば試食会!

1月17日の日曜日、公民館で、ソバボランティアの皆さんお待ちかねの秋の「新そば試食会」が行われ、15名が参加しました。

当日不都合の方は31日に。ソバ打ち先生、おいしい手打ちそばアリガトウ。

ももち浜ストア「火番」取材―またまた土居祥平さんー1.28放映!

畦町で江戸時代から、冬季に実施されている、約250年続く伝統の火番。よくよく考えればこれは稀有な「無形文化財」か。福津市の地域振興課から、「福津の珍しい伝承・伝説」を取り上げたいとテレビ局から申し入れがあった。「火番は伝承」でいけますから、引き受けてくれませんかと保存会へ。突然のお願い。番組はTNCの「ももち浜ストア」。

「ほっとするまち畦町」のためならと、1月21日にディレクターさんと打ち合わせ。22日金曜には撮影本番の早業。

22日金曜午後5時ごろ、時折小雨の畦町に現れた「ももち浜ストア・福岡なるほどですね」コーナーのディレクターと撮影スタッフ。タレントさんはダーアレと見るや、見覚えの人物。そうです、先日KBℂの「一日観光課長」でやって来た土居祥平さんではないか!

それから約一時間。火番伝承の説明役は事務局の岩熊が担当。実際の火番の太鼓打ちは上町役員の櫻井一さんが「熱血実演」。最後に土居祥平さんも一さんの指導で「太鼓を叩いて」火の用心。「イヤー、得難い体験させてもらいました」と感動の感想もいただけました。

TNCの「ももち浜ストア」での放映は1月28日木曜の朝10時半過ぎ「福岡なるほどですね」コーナーとのことなので、この紙面ご覧の頃には終了していましょうが… それにしても福津市の山手で、こうやってあちこちのメディアから取材を受けること多々に。「ほっとするまち」畦町の名前もどうやら、世間に知られてきたようで、アリガタイことです。

「ヘンポン」って知っていますか?

右の写真の下方真ん中にある「茶色い陶器の祠」、名前は畦町の古老によれば「ヘンポン」だそうな。

大明神橋から左上に見える竹林の尾根にあります。「畦町河原の合戦で死んだ侍の墓」とも、「行き倒れた旅人の墓」とも。この祠、畦町でも知る人が少くなっておりますが、南無阿弥陀仏。

「ヘンポン」どなたか名前の由来ご存じではありませんかネエ?

★一家に一花―「畦町まるごと植物園」づくり!

1月中旬、保存会の「畦町まるごと植物園」チームは、旧唐津街道筋にビタミンカラーのミニ花壇を配置しました。

チームはこれまで、①町筋の美化②まち歩きマップの作成及び健康寿命の維持や伸長などの活動をして来ましたが、いよいよ③「まるごと植物園」の建設(ネット空間のクラウド上)に入ります。

そして、畦町に咲く野の花や、お宅にある植物を写真に撮り、この「まるごと植物園」に展示したいと思います。

庭の花はこんなにきれいだぞ、プランターで珍しい植物を育てた、などなど「植物」についての話題がありましたら、写真やデータでのご提供をお願いします(保存会事務局まで)。世界中から「畦町まるごと植物園」が注目される!そういう日も夢ではありません。

★散歩の途中で「雉」に出会えます

氏神様裏の畑周辺に雉が出没しています。トコトコ歩いたり、立ち止まったり。5.6mくらいまで近寄れます。鳴き声は「ケーン」。写真のように羽がきれいな雄単独のことが多い。

畦町散歩で運がよければ、あなたも出会える可能性大。雉は「国鳥」。悪さはしないこと。

日本ミツバチ飼育孤軍奮闘記(17)-週末養蜂家  藤野孝太

日本ミツバチを捕食するオオスズメバチについて考えたい。これはあくまで私の個人的な見解である。

養蜂家にとって、オオスズメバチはミツバチを襲い、捕食する害虫だ。しかも、オオスズメバチに刺されれば猛烈な痛みに悶絶することになる。アナフィラキシーショックで死ぬかもしれないという恐怖もある。「こんな憎むべき害虫は絶滅させるべきだ」と私は思っていた。

しかし、本当にそうか?自然界の法則から考えると、オオスズメバチは日本ミツバチを守っていると言えるかもしれない。また昆虫の捕食者の頂点に君臨することで、自然界のバランスを保つ役割を果たしているのかもしれない。

オオスズメバチは日本ミツバチの弱った群から襲う傾向がある。日本ミツバチは、強群でれば、オオスズメバチの攻撃に対抗できる。オオスズメバチに飛びかかり集団で体温を上げて熱殺するのだ。この方法で日本ミツバチは、オオスズメバチと戦い、より強く、より賢い日本ミツバチが生き残ってきたと考えられる。

他方でオオスズメバチは他の様々な昆虫を大量に捕食している。つまり植物を食い荒らす蝶や蛾の幼虫、コガネムシなどを駆除する天然農薬であり、益虫であるとも言えるのだ。

「オオスズメバチも私たち人間も、他の生命を大量に喰らう、同じ生命だ」そう考えると、オオスズメバチを憎めなくなるのだ。

次号につづく。

畦町地名考2―「つゆじゃく」ーの思い出②・高村先生―畦町太郎

「つゆじゃく」、正しい小字名「辻坂」。そこを通る県道530号(畦町村山田線)に面したプライムデリカの工場横に、東西に小さな小川が流れている。昔は県道(当時県道だったか町道だったかは知らない)に欄干のない石橋がかかっていて、橋を渡るとS字の上り坂で、登りきると八並に入ったものだった。勿論プライムデリカなど姿かたちもなかったが。

挿入の写真は畦町にあった高村医院の主、高村直嗣先生(椅子に掛けている人物)夫妻とその弟(同じくお医者さんだった)夫妻の写真だ。その高村先生がある日の午後、八並に往診に出たのだが、翌朝になっても病院に帰って来ない。奥様が心配して、近所の村人に「主人が八並に自転車で、往診に出たまま帰らない、心配だから探してもらえないか」と頼んだ。さあ大変と村人が大捜索。八並の往診先を訪ねると「いや、先生は往診が終わってお酒を飲んで、昨晩かえらっしゃった」との話。畦町に引き返しながらふと村人が石橋から下の小川を覗いてみたら、なんと先生が川の中に「自転車に乗ったまま、座ってござらっしゃった」げな。

昭和30(1955)年前後だったろうか、飯台を囲んだ食事の折(多分夕食か)、母がそうやって話していたのをいまだに憶えている。


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2020年12月30日水曜日

保存会便り第102号

祝・保存会便り100号達成!―Y子

◆1月の行事

◎1月1日 保存会便り102号発行
◎1月17日(日)ソバボランティア対象「新そば試食会」
畦町公民館・11時30分
◎1月31日保存会⑧役員会
畦町公民館・ソバ試食会終了後

◆新そば粉できました。豊作!

12月6日(日)多数のソバボランティアの皆さんも参加、午後1時半からダイワンで秋そばの脱穀・選別作業。収量も多く、日暮れ時まで皆奮闘。

よく週ソバの実を岡垣町の専門業者にお願いして製粉。結果は①実は72㌔②そば粉39.5㌔③打ち粉6.08㌔(①+2で45.58㌔)製粉率63%の大豊作。これは月2回程度、公民館で「そば処畦」を開店し「ごくろうさんソバ」や「500円ソバ打ち」を1年間続けるのに十分な量です。

ソバ畑の耕耘・種まき・ハザ引き・土寄せ・乾燥・脱穀・選別・製粉・袋分け等、たくさんの作業や場所の提供をやってくださった皆さん、ありがとうございます。

◆「唐津街道畦町宿東口」看板!

12月23日、立石が立っている県道四辻の立石側歩道に、写真のごとく「唐津街道畦町宿東口」の看板が設置されました。

設置団体は「歩く唐津街道の旅/九州風景街道」です。毎年やってくる「歩く唐津街道の旅」、今年度は3月14日の予定(青柳宿→畦町宿→赤間宿)。

◆「礎石発見夢チャレンジ」―畦町遺跡(津日駅跡)の礎石探し!

8世紀ごろから12世紀初めごろまで、畦町は「古代官道」が通り、駅家(うまや)が置かれていたと考えられていて名称を「津日駅」といいました。

その遺跡について文化11年(1814)『筑前国続風土記拾遺』で青柳種信は「民家の南東の側らに、古へ大廈のありし址あり。礎石あり。径三尺(約90.9㎝)斗或いは二尺(約60.6㎝) 余 厚1尺(約30.3㎝)余、中央に柱を立てし所、その痕径一尺二寸(約36.36㎝)刻起り。太宰府の礎石に似た り。今礎石人家の下にありて長二十間(約36.36m)余連なれり。その辺の土中に古瓦多し。里民は天智天皇の 行宮址なりという。不詳」とあります。

その他『太宰管内志』伊藤常足・天保12年(1841)、『福岡県地理全誌巻之二十九』福岡県・明治5年(1872)~明治13年(1880)にも記述あり。

記述から「礎石」の①「配置図」を示すと以下のようになります(福津市文化財調査報告書第16集による)

また「礎石」の特徴はA大宰府の礎石に似ていて(*挿入写真参照)B茶色で花崗岩(*挿入写真参照)らしい、ということです。

「礎石」は江戸時代のある時期まで人家の下に連なって存在していましたが、畦町宿が作られ、建物や道路が整備されてゆく際に、神社の鳥居や街並みの石垣などに再利用され、現在はどこにあるのか不明となっています。しかしながらよくよく探せば、石のことですから、遠くに運ばれて、すべてが失われてしまったとは考えられません。畦町のどこかの建物の敷石、石垣の一部、小道の片隅にひっそりと眠っている可能性は大きい。

11月に「礎石」を発見して、「畦町遺跡」の実態を「天下に知らしめたい」と福津市文化財課の関係者より、保存会に協力要請がありました。面白いですね、畦町の古代発掘大ロマン。丑年新春のチャレンジはこれで決まり。

保存会では2月に最初の「礎石発見夢チャレンジ」を、福津市文化財課の関係者と一緒にスタートさせます。私も一緒にやってみたいという方、ありましたら、どうぞご連絡下さい。大歓迎です!

★上町掲示板写真入れ替え

12月1日、保存会が設置している上町の掲示板の写真が新しいものに入れ替えられました(担当者末廣隆・櫻井一)。

新たに展示されたのは①10.25に実施した「秋のミニイベント」のもの。「巡回観光馬車・健康生き生きウォーク・バードウオッチング」の楽しい写真が多数。

もう1つは②「畦町宿まち歩きマップVer2(改訂版)」です。改訂版、ご希望の方はぎゃらりぃ畦まで。

上町の掲示板は脇にオプションで「保存会便り」が毎号拡大掲示もされ街道歩きの方々よく読んでいます。一さんアリガトウ!

★前号以後の古本寄贈者

二川秀臣・岩熊寛・安田光宏

★貴船様前田んぼ改良作業

12月12日(土)、集まった10数人で、U字溝の溝さらえや貴船様から張り出した竹木の整理等を行いました。

またその折搬出した竹・木は秋そばの殻と一緒に23日に5名ほどで焼却しました。

皆さんオツカレサマ。

日本ミツバチ飼育孤軍奮闘記(16)-週末養蜂家  藤野孝太

日本ミツバチの話をしよう。日本ミツバチを捕獲した最初の年は私のミスにより、群を消滅させてしまった。

翌年には、どんなところに待ち箱を設置したら捕獲できるかある程度分かっていたので、ここぞと思う場所に待ち箱を設置し、合計3群の日本ミツバチを捕獲できた。その3群がその年に分蜂し、合計7群となった。

夏のことだ。日本ミツバチの巣箱に西洋ミツバチがやって来て、ケンカしていた。「なぜだ?」

ネットで調べてみると、「盗蜜」だと分かった。花が少なくなる夏に西洋ミツバチが日本ミツバチのハチミツを盗みに来るのである。そのまま放置しておけば、すぐに西洋ミツバチの大群が押しよせ、日本ミツバチの群は崩壊してしまう。私は日本ミツバチの巣箱の出入り口を狭くすることで対処した。

秋には大量のスズメバチがやって来た。キイロスズメバチとオオスズメバチだ。キイロスズメバチはさほど問題ないが、オオスズメバチはやっかいだ。大群でやって来ると日本ミツバチでもひとたまりも無い。オオスズメバチの大群がやってくる前に、スズメバチ捕殺器を巣箱に取り付けて対処する必要があった。捕殺器には大量のオオスズメバチが入って、もがきながら死んでいった。

これでいいのか?私は悩んだ。養蜂をするということは、ミツバチを食べに来るスズメバチを退治する必要があるということだ。襲ってくるスズメバチを殺さなければ、数万匹のミツバチが数日で死滅してしまう。

しかし「私のミツバチ」を守るために、敵と思えるスズメバチを殺していいのか?悩みは深まっていった。

次号に続く。 

畦町地名考―「つゆじゃく」ーの思い出①―畦町太郎

畦町宿の東構口を出ると橋を渡ってすぐに「宗像宮道」と彫られた石碑(通称「立石」)がある。立石の前を県道530号(畦町村山田線)が走っている。挿入写真は、この県道起点の立石のところから、畦町東信号方向を撮影したもの。

私が子供の頃、県道の道幅は約半分で土道。もちろん信号もなかった。いや、畦町東の信号のある交差点は田んぼだった。その田んぼのすぐ隣に家の2反弱の田んぼもあって農作業の手伝いを「いやいや」ながらよくさせられたもので、いつも「つゆじゃく」の田んぼと呼んでいた。

それからウン十年。ある機会に「福間町全字図」というものを手に入れて「つゆじゃく」の場所を見てみたら、なんと「辻坂」とある。「つゆじゃく」と思い込んでいた場所の小字名は正しくは「つじさか」であったのだとびっくり。

今は福間東の信号から八並のプライムデリカの前の道はほとんど傾斜を感じないが、子供の頃は土のカーブした坂道で、自転車を漕いで上るのはちょっときつかった。「立石」のところが辻で、それから八並方面に向かって坂になっていたから、このあたりの小字名が「辻坂」。昔は文字でなく耳で聞くから「辻坂」が「つゆじゃく」に段々となっていったんだと、妙に納得したものだ。



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2020年12月1日火曜日

保存会便り第101号

祝・保存会便り100号達成!―Y子

◆12月の行事―ご協力をー

◎12月6日(日) フリーのソバ打ち
料金500円・畦町公民館にて(定員確定)
◎12月6日(日) ソバの脱穀・選別
午後1時半より3時間程度
ダイワンのミヤエさん宅庭に集合
作業のできる服装・軍手持参。 ソバボランティアの方以外でもどうぞおいで下さい。
◎12月12日(土)
貴船様前の田んぼの「U字溝の手入れ」。排水関係の改善作業。
9時から1時間程度。
鍬・小型のスコップ・海老ジョウケ等

◆アカガエル・カヤネズミの巣

11月29日(日)朝9時から、天満宮横の旧ヒマワリ畑と往還下土手の草刈り作業を行いました。

その折、畦町の「生き物博士」小田雄一さんが、アカガエル一匹とカヤネズミの巣を発見、写真に収めることができました。どちらも生息数が減少している貴重な動物ですが、特にカヤネズミは一層です。

写真がカヤネズミの巣。カヤネズミはすでに巣立ちしていませんでした。

当日の作業参加は15名ほど。2時間弱のボランティア活動ご苦労様でした。

●関連で10月25日のバードウォッチングで観察した鳥の名前をお知らせします。 アオサギ、ハシボソガラス、モズ、ジョウビタキ、メジロ、アトリ、シジュウカラ、ヒヨドリ、オオバン、カルガモ、カワセミ、カイツブリの12種※鳥類ではありませんが、イタチも

RKBテレビ4chー12月9日(水)「タダイマ!」18時15分~放映

11月26日(木)またまた畦町にテレビ取材がやってきました。タレントさんは「お笑い芸人」でコンビ名「土居上野」の土居洋平さん。RKB毎日のテレビ取材班4名と共に、午後4時半くらいから、6時ぐらいまで、世界一小さな蚕博物館・イモリちゃんの池・ぎゃらりぃ畦等で、土居さんが「探検」するスタイルで撮影。折からのコロナ感染への配慮から、「住民」はテレワークの℡取材という形となりましたが、事務局長も出演。

お祇園様池では「イモリすくい」に挑戦しましたが、冬とあってすでに土にもぐったのか現れずに残念。それでも「ぎゃらりぃ畦」で、イモリや畦町宿のレトロな写真をゲット。放映の材料に仕込んで帰りました。

この日は「福津一日観光課長」という企画で、土居洋平さんが巡ったのは次の6か所。

  1. 福津市役所で事例交付(課長に任命)
  2. 津屋崎干潟で看板作成
  3. 藍の家で雑草掃除
  4. 王丸屋の紹介と恋の浦の重箱石の撮影
  5. 空と海で鯛茶づけの紹介
  6. 畦町で世界一小さな蚕博物館・イモリちゃんの池などの紹介

6か所を見ると、市役所以外の②~⑤は津屋崎方面の「海」関連ばかりで「福津の魅力は海」というお決まりパターン。そこに畦町が「忘れんシャンな福津の山手!」と分け入った格好。土居洋平さん、畦町ヨカッタヨネ!

放映はRKBテレビ4chー「タダイマ!」・コーナー名「観光課長土居」・放映開始時間18時15分~

12月2日(水)18時15分~―福津市の前半・12月9日(水)18時15分~―福津市の後半【畦町はこちらで放映されます】

「ソバがゆ」はいかが?

冷え込んできたこの時期、あったかくてトロ味のある「ソバがゆ」を召し上がりませんか。

ソバがゆは「ソバのむき実」で簡単に作れます。要領は精米でおかゆを作るのと同じ。ソバのむき実は1㌔800円。ご希望の方は事務局にご連絡下さい。

ワリカン隊―今年の仕事納めかー

ワリカン隊の原点である「玉ねぎ苗植え」を11月29日(日)に14名の会員にて行った。ある説によれば私たちは年間200ケの玉ねぎを一人当たり食するのだそうである。2000本の苗を植えたが、20人程の会員故に一人当たり、100本程にしかならない。

はやりの病を避ける為に極早生とはしたが。如何なる出来栄えとなるかは神のみぞ知るである。

この畦町の片隅で、かような営みを何故、私たちは行っているのであろう?色々な答えはありそうだが、ふと天から聞こえて来るのは、昔の人々がごく当たり前にしていた事どもが、この手で、この足で示され、気付かされるという真実であろう。

全ての物はこの手で作られ、必要な技も、工夫も全ては整えられ、与えられて来た。そして生まれた作物も農機具も、身体の滋養となり、心の滋養となりさらに、美しいものですらあったのではないか。

そんなことに感じるこころを持てる一日を味わう為に、今日もてくてく歩いている。てくてく農作業をするのかも知れないね。

―佐々木勉記―

日本ミツバチ飼育孤軍奮闘記(15)-週末養蜂家  藤野孝太

本物のハチミツは美味しい。西洋ミツバチのはちみつは濃厚。日本ミツバチのはちみつはあっさりして飽きのこない味だ。どちらも旨い。

日本ミツバチのはちみつは百花蜜と言われ様々な花の蜜がブレンドされているが、西洋ミツバチのはちみつは単花蜜(一種類の花から蜜)を作ることができる。花の種類によって味と香りと色が異なる。はちみつの味を食べ比べるのも楽しい。

また、はちみつの色の違いを楽しむこともできる。花の種類ごとにはちみつを小瓶にいれて、棚に並べておけばオシャレだと思う。

レンゲ花はちみつ、コーヒー花はちみつ、アカシア花はちみつ、ソバはちみつ、ミカン花はちみつ、リンゴ花はちみつ、クローバーはちみつ、ラベンダーはちみつ、マヌカ花はちみつなどいくつもある。苦みのある味やあっさりした味、香りが強いもの、濃厚な味など様々な味と香りの違いを楽しめる。

旅先でハチミツ屋を見つけたときは、味見することにしている。そして気に入ったはちみつを一つ買う。旅先でのささやかな楽しみの一つだ。

次号に続く・・・。

井上勝次に触れて(最終回) 平木俊敬―『百姓組頭・井上勝次』―著者

 「保存会便り」に寄稿させていただき、一年近くが経った。読者から感想が届いたりする。ご縁が深まり、感謝している。

ところで、私の母は満94歳に、先月なった。地元福間浦の海産物業者の娘。大正の世に生まれた。高齢に沿って『物忘れや錯誤』は、それなりに高じている。  昨日(11月24日)は、宗像市光岡の病院で定期検診を受けた。帰路は、私が好きな山の口峠からの『唐津街道』を下りた。そして、いつもと違って、なまずの里公園へと左折した。 

母の親友が住む、大森神社~折目酒店の道は、晩秋の景色となっている。すると、「つやちゃんは、どうしとるやろかね~」と、母の呟きが聴こえた。お嫁さんから近況を聞いていたが、「よぉ~、軽トラで来よんしゃったねぇ」と、あいまいに応えた。母の視線が、その住まいに向いている。 80年に及ぶ、仲良しであった。この歳になると、忘れてよいものは、山ほどもあるに違いない。それでも、いつまでも忘れられないものを、どこかに秘めて、ゆっくりとひとは老いていく。

上西郷の冬隣の中で、少しだけ目頭が熱くなってしまった。 〈了〉

★10回にわたって平木さんに寄稿していただいた「本連載」はこの号で終了です。さりげない日常の1コマ、2コマを、気張らずに取り上げながら、深みある「人生」の機微を感じさせる筆致の妙。ありがとうございました。







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2020年11月1日日曜日

保存会便り第100号

保存会便り100号をお祝いしますー篤成

◆11月の行事―ご協力をー

●「ソバ処畦」開店
畦町公民館 手打そば・ごはん・漬物
料金500円
15日については「お客様」募集中(事務局まで・定員―13名ほどーになり次第締め切り)。コロナ対策は万全です。
●秋そば刈り取り、乾燥作業―8日デスー
写真のようによく実がついています。このまま大風が吹きませんように。
〇作業日 11月8日(日)10時より、2時間程
〇集合場所 高宮の秋そば畑
〇作業 刈り取り・束ね・乾燥場へ運搬・掛干
●天満宮横「マスエさん田んぼ・土手」の草刈り
11月29日(日)9時より2時間程度
田んぼ2町及び往還土手の草刈り
集合場所は現地
●貴船様前田んぼの整備作業
水が溜まらないように整備します
12月上、中旬実施予定
◆ヒマワリの種取り、ご自由にどうぞ
みなさんに楽しんでもらったヒマワリの花、時期が過ぎて枯れつつありますが、花の部分を切り取って、しばらく干してほぐすと「種」の採取ができます。ご希望の方はどうぞ、ご自由にお取りください。

ワリカン隊新規会員募集中!


今度は玉ねぎ栽培に移ります。
ただいま会員18名・指導者2名
新規会員募集します。年会費3000円

保存会便り100号を祝してー「川」の思い出ー会長 岩熊 徹

平成24年(2012)5月18日の創刊号から、この100号まで、よく続いたものだ。原動力は何より「畦町への愛情」。100号の記念に、昨年、卒寿を迎えさせて頂いた私の、子供の頃の「川」にまつわる思い出を記そう。

昭和10年(1935)頃畦町には水車が何台もあった。その一つは「岩崎橋」の少し上流、現在の石田兄弟両家の間の空地に。川口樟脳屋が使っていたもので、川から水を引いて水車が回転。それで大きなフライホールの円盤が回転し、付いている切歯で電柱よりも大きい樟の木を削ると、下駄位大きな木片が次々と出来て来る。それを集めて樟脳を作ってあったと思う。

小学校の帰り、この様子が面白く、道草をした。親父さんから「危ない」と叫ばれて、遠目に見て帰っていたものだ。

もう一つの水車は、中町の「宿橋」の少し上流、現在荒牧さんが作っている田と川の間にあった。その当時の道は「馬車道」で道幅も3m位だった。この水車は近郊の人達が協力運営し、「生活」の一部になっていた。大きな杵が2個あって、臼が米をついたり、小麦を粉にしたりと、「コットンコットン」上下するのをぼんやり眺めていたものだ。そこには「長閑で平和な時間」があった。

この水車が水を汲む川には皆が「正五郎」さんの「イデ」と呼ぶ「堰」があった。今でも堰を「イデ」と云う人は多い。

毎年、五月頃になると、悪くなった堰の一部を撤去し、大きな杭を打ち「シガラ」等を組んで田植えの「ため水」の準備がある。これを「イデセキ」と呼ぶ。大人達の一日がかりの作業。すると撤去した所からウナギ・カニ・魚等が出て来るので、子供達は喜んで取合い、時間を忘れたものだ。

六月頃は川辺に蛍が乱舞。子供達は麦の茎を五角形に編んで蛍籠を作る。夕方になると川面に向かって「あっちの水は苦いぞ」「こっちの水は甘いぞ」とそれぞれに蛍狩りをしたものだった。

今は水車も消え、護岸もコンクリートブロックで、道も広くなったが、清らかで水量も多かった畦町の「川」の姿は私の心に消えず遺っている。

祝―保存会便り100号達成④新規ご賛同の皆様。ありがとう。

宮城病院
堀江恭一・前田成一・F1さん・HさんK1さん・K2さん・T1さん・I1さん・K3さん・S1さん・T2さん・Wさん・S2さん・T3さん・Мさん・I2さん・浅山正章・堺さん

楽しかったー観光馬車巡回・健康生き生ウォーク・バードウオッチング

10月26日は絶好の秋日和。コロナ禍でしたが、予定していた「畦町ミニイベント」が開催されました。

一番人気は「オーロ君」が曳く観光馬車。公民館駐車場→大明神橋→県道→前田橋→椿屋根古墳→阿弥陀が池前→三叉路→旧ソバ畑→あぜねこバス神社前→公民館駐車場の巡回コースをのんびり・ゆっくりと、約20分ほどの行程で運行。9時35分から12時過ぎまで、7便、44名のみなさんが、乗車記念撮影付で楽しみました。

「畦町まち歩き健康ウォーク」は畦町高寿会との協賛で、観光馬車と同じコースに「そば畑」と「阿弥陀が池」見学のオプションが付き、30名の方が、三々五々、ウォークを楽しみ、スポットの神社前バス停で記念撮影もしました。

「バードウオッチング」は6名と少数でしたが、3時間弱、講師の品田裕輔さん(元うみがめ課)の解説で、里山と水辺の鳥を観察しました。

また主会場となった駐車場では宝くじ財団の交付金で実現した「保存会テント」も設営されて初披露。畦町に野菜作りに来ている会員さんを中心とした野菜や手作りマスク、それにみなさんからいただいた古本やなつかしの「ガメノ葉饅頭」の販売も行われて好評でした。

なお当日のスタッフは39名(保存会関係者35名・高寿会4名)。ご協力に感謝申し上げます。

◆古本販売中―寄贈できる方はご連絡をー受け取りに伺います!

前回以降に寄贈くださった方々。感謝!

本村友和・佐々木勉・小室宏孝・スイートスイート

◆かけ稲米販売中―10㌔4000円

好評の畦町産「かけ稲米」販売しています。5㌔から購入できます。ご希望の方は事務局までお知らせください。

◆明治悲話仇討禁止令―全貮景―

昭和26年(1951)まで万年願(9月25日)の日にはお祇園様の舞台で「畦町青年団・処女会」によって「改良劇」が上演され、畦町のみならず近在の集落からも見物のお客様多々。その演目の1つの台本が小田雄一さん宅に保管されていました(写真)。

原作 畦町青年文化部 脚色演出 大町愽 とある台本はB5版のノートにペン書きされています。雄一さんの話では「叔父の徳昭(昭和2年生まれ)が舞台で演じていた話をしていたので、持っていたと考えられます」とのこと。畦町の貴重な文化遺産。台本内容はただいま復刻中。

日本ミツバチ飼育孤軍奮闘記(14)-週末養蜂家  藤野孝太

ミツバチ研究を始めて5年目の春、念願叶って日本ミツバチを捕獲した。そしてその喜びに酔いしれたというのが前回までのあらすじだ。

近年、日本ミツバチにアカリンダニという寄生ダニが発生し、日本各地で日本ミツバチの群れが消滅しているという報告がある。我が家の日本ミツバチを守るべくアカリンダニ対策に取りかかった。アカリンダニ対策にはいくつかの方法がある。代表的なのはショートニング処方やメントール処方である。

私はメントール処方を行うことにした。メントールとはハッカのことだ。ミツバチの巣箱の中にメントールの結晶を投入すると、アカリンダニだけが死ぬのである。さっそくメントールの結晶を巣箱に投入してみた。

1時間後、巣箱からハチミツが漏れ始めた。「ん、なんでだ?なぜ蜜が・・・」急いで巣箱の蓋を開けると巣が溶け落ちていた。メントールを処方したことで、ミツバチが騒ぎだし巣箱の温度が上がり、熱で巣が溶け落ちたのだ。

「ガビーン」。大切な日本ミツバチを守るためにやったことが、裏目に出てしまった。こうなってしまったら巣箱から溶け落ちた巣を除去しなければならない。父と一緒に防護服を着て、溶け落ちた巣を回収していった。ようやく作業が終わり最後に蓋をした瞬間のことだ。

「ぎゃー」。女王蜂が巣箱と蓋の間に挟まって死んでしまった。女王蜂がいなくなるとその群れはやがて消滅してしまう。春に捕獲した日本ミツバチは、その夏に消滅してしまった・・・。喪失の悲しみは翌年の春まで続いたのであった。

次号に続く。




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