2022年11月30日水曜日

保存会便り第125号

◆保存会―12月の行事

12月1日(木)
保存会便り125号発行
12月4日(日)
秋そば脱穀 9時 八幡宮境内
12月18日(日)
バードウオッチング

⁂「火番伝承体験講座」実施予定

バードウォッチング参加者募集!

渡り鳥もやって来て、絶好の「鳥観察」の季節到来。畦町には水辺の鳥・里山の鳥といて、多彩な自然環境。双眼鏡は用意しますが、お持ちの方は持参下さい。

  • ⁂参加料300円(中学生以下は無料)
  • ⁂講師 品田裕輔氏
  • ⁂当日8時50分までに畦町公民館にご集合下さい。コロナ対策は各自にて。
  • ⁂雨天の順延はありません。小雨決行。

春ジャガ作り希望者募集中!

八幡宮裏のソバ畑の「春ジャガ」耕作希望者を募ります。

人員は5~8名程度。保存会で耕耘(基礎肥料散布)/種芋(北あかりとメークィン)/マルチ/電柵等の準備をします。必要な経費は均等割りにて徴収。収穫物は各自のものとなります。

2月に種芋の植え付けをして、6月前後に収穫となります。

希望者は事務局までご相談下さい。

お祇園様池の水枯れ対策

お祇園様池の水が枯れて、7月以降9回の「水レスキュー」をしていますが、メドが立ちません。そこで恒常的な対策として池の 底に「プラ舟」を3台、底に入れることとしました。11月26日に作業実施予定です(11/23日現在で記事記入)。度重なる「水レスキュー」には軽トラ・水入れ調整・水汲み担当など何度も何度もボランティアの御協力を頂きました。深謝!

◆畦町宿祭り写真コンテスト優秀賞11名・11作品発表!

第8回畦町宿祭りの写真コンテスト、多数の応募作品を祭り実行委員にて審査(11月11日)、以下の結果となりました。優秀者の栄誉を称え、畦町産特選米などの賞品を謹呈させて頂きました。

★優秀賞11人―表彰状 賞品―畦町産特選米・畦町物語2・二川秀臣版画お城絵葉書

以下優秀作品を、①~⑪の順番に並べています。

①太田豊喜(駕籠)

②青木悟(祭りの通り)

③末廣隆(オデン)

④青木夏希(ミニSL)

⑤中屋ミチ子(お面に見守られて)


⑥鳥巣博樹(駕籠)

⑦佐山健(龍神太鼓)

⑧松島良徳(ミニSL)

⑨尾崎香織(ワンと子供)

⑩柴田みどり(おまつりだ~いすき♡)

⑪櫻井一(プリンセスカグラジャパン)





◆11/6秋そば刈り取り・乾燥→12/4脱穀作業!

11月6日、ソバボランティアの方々と一緒に秋そばの刈取りをして氏神様拝殿に掛け干し。

今月4日の日曜9時から脱穀作業を行います。そばに興味のある方、どうぞご参加下さい(八幡宮境内)。

今年は風が吹いて倒れたこともあって去年より不作です。

畦町の四季13―おもわず拝みたくなる?小田雄一

錦秋の候 歩いていると何処からか甘酸っぱいビワの花の匂いが漂ってくる。

モミジ、ハゼノキなど木々の紅葉も美しい。春に夕景(高宮山の麓)で見つけたマムシグサを確認に行くと、イノシシが辺りを堀繰り返していたが、幸いその場所に倒れてあった。大仏様の頭の螺髪らほつの様な実を付けていて、思わず手を合わせてしまいそうになる。その名のとおりおどろおどろしい姿から一変、有難いお姿になっていた。合掌 南無阿弥陀仏。

追申 我が家の玄関軒下に毎日夕暮れになるとお客さんが訪れ泊まる。ジョウビタキさんである。夜露をしのげ、外敵に襲われることもなく安心できるのであろう。長旅の疲れを癒し、春まで泊まってもらって構いませんが、フンを下に落とさないでね!

🔶ワリカン隊、玉ねぎ苗植える!

11月20日、八幡宮横の畑に、極早生の玉ねぎ苗1500本を、5人のワリカン隊員で移植しました。

移植を始める前に、指導役の小田雄一さんから、植える深さ・方向・マルチの穴の間隔など、丁寧な指導がありました。

畦町地名考―「つゆじゃく」の思い出⑲・高村先生その18―畦町太郎

福間の高村医院。地番は「福間2733番の3」。それを昭和26年12月25日に宮地嶽神社から購入した宗像郡南郷村王丸467番地の赤田智男。婿養子に入り高村智男となり、高村医院を経営していたが、離婚して旧姓に戻ったという人物。はたしてその人物は実在したのだろうか。

畦町と南郷は同じ街道沿いといっても行政エリアも通う小学校も違う。子供のころからの交流はほとんどないから、南郷村王丸へのご縁はない。畦町に、あるいは畦町からの婚姻関係も知らない。それでも、王丸を車で通過する際、国道に出る交差点脇に「赤田」姓の車関連工場があるのは知っていた。

その工場を「直接ご訪問」という手も考えたが、見知らぬ男性が、突然家に来て、まったく知らない自分の家のご先祖のことを尋ねられたら90%は拒否反応確実、以後は門前払い間違いなし、と想像できたので、あれこれ思案。結局「南郷コミュニティセンター」に拙稿を添付して、「赤田智男をご承知の方はいないでしょうか」とお尋ねのメールをしてみた。すぐに「お尋ねを受け付けました。調査してご返信致しますので、暫くの間お待ちください。」と自動返信で受付完了のお知らせ。更に「返信がない場合は☏をお願いします」との付記も。

どんな「調査結果」が返って来るのか、楽しみに待っていたが、10日ほど経っても何の連絡メールもない。

そこで直接☏してみた。すると担当の方は「メールは見ていません。こちらには自動返信機能はありません。間違えてよその『南郷』に(南郷という名称の地区は国内で他にもいくつかある)送信なさったのでは?」とのご指摘。

いや、そんなはずはと思ったが「返信機能がない」というのは決め手。「俺がどうも間違えたらしい」と直接コミュニティセンターを訪問し(数日後)、資料をお見せして、詳しくお話をした結果、対応して頂いて「赤田智男」を知っているという王丸在のオガタカズミさんという人の名前と電話番号を頂き、大感謝。

コミュニティセンターから帰宅して、早速にその人物、オガタカズミさんに☏をした。女性と思っていたら、男性の声。「赤田智男さんを詳しく知っているわけではないですが…」「お会いするのは結構」という返事なので自宅の場所を聞くと大体の見当がつく場所で、翌週ご訪問のお約束。

ローカルの歴史を調査していて最も嬉しいのは「誰も知らない歴史の事実」をわが手で初めて発掘して、文献に記し、世の中にご報告できること。約束の曜日迄、大袈裟ですが「指折り数え」ましたね。

当日はネクタイこそ締めませんでしたが、こざっぱりとした服を着用。お菓子屋の娘が作ったロールケーキを化粧箱に入れ、加えて畦町物語1・同2に高村先生の連載稿のコピーも持参。わくわくしながら、しかし車は軽トラで、王丸のオガタさん宅へ。一発でご自宅到着、ご本人丁度お庭に。それからいろいろお話伺ったわけですが、上にいい笑顔の御写真掲載。―次号へー


第124号 2022.12.1 務局〒811-3202福津市畦町368 岩熊寛 方
☎080-9244-5128 メール hirohiro@jt2.so-net.ne.jp
フェイスブックはこちら

2022年10月30日日曜日

保存会便り第124号

保存会―11月の行事

11月1日(火)
保存会便り124号発行
11月6日(日)
秋そば刈り取り・掛け干し作業
9時八幡宮裏のソバ畑集合
11月21日(月)
睡蓮忌世話人会 

⁂畦町宿祭り反省と御礼活動・ワリカン隊の玉ねぎ植えなど

畦町一杯の花飾りー10/3花チーム

10月3日、畦町まるごと植物園の花チームが、町筋のミニ花壇を40鉢と八幡宮参道の花壇を季節の花に植え替えて再配置しました。

街を通ればあちらにもこちらにもきれいな花の畦町です。

新しく転入してきた方にその理由を聞くと「街がきれいだから、畦町に家を建てた」という答えが。この数年で10戸以上の新居が畦町に。花チームの活動もその一部を担っています。

プランター花壇の水やりは多数の住民の皆様にお願いしています。ご協力に感謝。

11月6日(日)秋そば刈り取り作業!

お盆明けに蒔いたソバ。ソバは3ヶ月で収穫といいますが、その通りで実が熟しています。今年は途中台風に吹かれて一部倒れてもいますが、豊作を願うところ。

体験希望の方もどうぞおいで下さい。

6日日曜の9時から、八幡宮裏のそば畑で刈り取り、八幡宮拝殿に干します。

◆第8回畦町宿祭りー10/22.23―好天の下、大盛況!

3年振りの畦町宿祭りは「大盛り上がり」で、「ほっとするまち畦町」ならではの祭りとなりました。

22日前夜祭の幻想的な「灯り」、大人気の「オデン販売」・夜の水族館「魚見屋(うおみせや)」。そして公民館での津軽三味線(木下三絃会)と懐かしの歌曲(ザ・ベアーズ)演奏は館内の襖を取り除くほどの観客が入りました。

23日は来客数の多さもこれまでの最高でしたが、家族連れ・若者が目立つ本番の祭りとなりました。9時からの「保存会設立10周年記念式典」には、ご多忙にも関わらず、吉田県議・原﨑福津市長(挨拶写真)等10名がお見え下さり、記念演奏の「龍神太鼓」が勇壮に響きました。

10時からのイベント。今年初登場で注目を集めたのは「駕籠屋でござる」の「駕籠」と子ども広場の「ミニSL」。畦町宿祭りを伝えるインスタやフェイスブックに既に多数アップされているのがその証拠。

他にも神木巡りツァーは予定を上回る参加者。舞台の出し物には「観客」が絶えず、出演者と一体になる盛り上がりよう。サムルノリ・プリンセスカグラジャパンなどは色彩鮮やかでもありました。

もちろん「買い物」も祭りの楽しみ。畦町産新鮮野菜と食べ物雑貨のバンコ市には32店舗が出店。たこ焼きの店には順番待ちの列。中には5万円を売り上げた店も。

家族連れと子供達が多かったし、祭りの人波が引いていく時間も例年より遅く、3時の閉会時間が延びたほど。

5月の祭り実行委員会スタート以降およそ半年、畦町内外のボランティアスタッフの皆さんの苦労を基盤に、物心両面でご支援くださった皆様あってこその祭り大盛況でした。

お米が取れたら秋祭り。日本の原風景。畦町にはそれがあります。

畦町の四季12―空中に住まうもの 小田雄一

秋たけなわ。夜明け前や夕暮れ時に「キウイーイー」とモミジドリ(雄鹿)の鹿鳴を耳にする。掛け稲に雀除けの網を被せていた矢先、稲わらを丸く編んだ巣から足下に「ポトッ」と茶色のカヤネズミがあわてて落ちてきた。稲刈り後3日程経っており空腹なのか人目を気にせず芽吹いたスズメノテッポウを食べていた。尻尾をうまく使って移動する技を持ち地面に降りることなく水を張った田んぼで暮らす。餌はイネ科の種子、昆虫で米は食べない。天敵の蛇やフクロウに襲われることなく地中の穴で無事越冬できることを祈る。

追申―珍しいキノコがあるばい!と安永秀男さんから通報。お大師さま登り坂に駆けつける。20cmを超え、人形の頭の様なキノコが出ている。 調べたらマントカラカサタケの様だ。  珍しい動植物を発見されたら「いきもの係」にご一報下さい 駆けつけます!

畦町地名考―「つゆじゃく」の思い出⑱・高村先生その17―畦町太郎

小学校2年か3年の頃、裏庭で怪我をした。倉庫に格納されていたリヤカーの引き棒に乗って遊んでいたら、引き棒(鉄製)を吊るしてある紐が切れて仰向けに地面に落ち、後頭部を切ってしまった。姉が一緒に遊んでいたと思う。すぐに高村先生の所(家の3軒隣)に連れていかれたが、「これは家(うち)ではダメ、福間の病院に行きなさい」とのことで、やがて帰宅した長兄が自転車の後ろに私を乗せて福間の病院へ。そこで頭を7針ばかり縫ってもらった記憶がある。成長してその病院は福間の上妻病院(高村医院を引き継いで病院)だったと思い込んでいたが、違って「福間の高村医院」で、外科の先生は高村智男だったのだろうか?小2とすれば1951年(昭和26)、小3とすれば1952年(同27年)の話となるが。

⑰回で紹介した「二十日会(福間の病院長の親睦会)」に高村直嗣・高村智男が並んで写真に納まっているが、「二十日会」の発足は昭和23年4月20日(宗像郡医師会史による)。直嗣先生のお孫さんが「昭和23年に千賀子(直嗣の長女)に智男が養子(婿養子)として跡継ぎ」と証言していることから、写真は結婚から間もない頃と思われる。

『宗像郡医師会史』の「歴代会員名簿」に高村智男が登場するのは昭和22・23・26年(24.25年の名簿なし)。一方上妻姓が登場するのは昭和29年(27.28年名簿なし)で上妻隆治。少なくとも昭和26年までは「福間の病院」は高村医院で高村智男が病院長。

法務局で福間の高村医院の土地の動きを調べてみた。高村医院の地番は「福間2733番の3」で昭和26年12月25日に宮地嶽神社から宗像郡南郷南郷王丸467番地の赤田智男が購入し、昭和32年5月31日に長崎県北松浦郡福島町塩浜免7(5かも)49番地に名義人住所が変更され、即日「福間町2733番地」の上妻隆治が購入登記となっていた。

「赤田」は婿養子に入った「高村智男」が千賀子と離婚(「子が出来なかったから」と前記のお孫さんは話す)した後の姓(「二十日会」の智男の写真下にも[赤田]とある)。離婚して婿養子も解消、元の姓に戻ったのだろう。それはそれとして高村医院の土地は宮地嶽神社から購入した。それが昭和26年12月。

福間の高村医院が上妻医院になったのはいつか。「上妻病院々長上妻隆治」は宗像郡医師会歴代名簿からして、昭和27・28・29年のどこかだ。

私の頭の怪我を7針縫ってくれたのはどちらだったか?高村智男か上妻隆治か?微妙なところではある。

ここの隙間を埋めようと、福間の小児科病院の先生と歯科医師(故人)の奥様をお訪ねしたが確たる証言には行きつかなかった。しかし奥様から「終戦前後畦町の高村医院には代診の山崎という40代ほどの先生がいて、畦町下町の地蔵尊に近いところに家を借りて、ご夫婦で住まれていた」という貴重なお話を聞くことを得た。直嗣先生が福間の病院にかかりきりになっていた様子を改めて証拠立てる証言である。


第124号 2022.11.1 務局〒811-3202福津市畦町368 岩熊寛 方
☎080-9244-5128 メール hirohiro@jt2.so-net.ne.jp
フェイスブックはこちら

2022年9月30日金曜日

保存会便り第123号

10周年記念第8回畦町宿祭り―10.22・23日開催!

保存会―10月の行事

10月1日(土)
保存会便り123号発行
10月2日(日)
駕籠チーム作業 9時より公民館
10月22日(土)・23日(日)
第8回畦町宿祭り前夜祭・祭り本番 
10月24日(月)
畦町宿祭り片付け作業
⁂中旬
畦町宿祭り前の整備作業

9月4日秋そば「中打ち」作業!

8月21日に種まきした秋そば。降雨直後の種まきだったので、順調に生育。2週間後のこの日12名参加(新顔のボランティア2名)で中打ち作業。14畝ほどを、9時からお昼ちょっと過ぎまで「中打ち」しました。カンカンの日照りで、みな大汗。休憩時の冷えたお茶と、善彦さんちの甘夏のおいしかったこと。

白くきれいな「ソバの花」は10月始めまで、お宮裏のソバ畑でご覧になれます。

畦町宿祭りに登場「駕籠」作り進む!

映画の世界でしかお目にかかりませんが、23日には畦町の通りに登場させようと追い込みの作業中。乞うご期待。

◆22(土)前夜祭・(日)祭り本番―第8回畦町宿祭りいよいよー!

3年振りの畦町宿祭り、いよいよ間近です。今年は第8回、しかも保存会設立10周年記念として開催されます。

22日(土)は前夜祭。夕方からお寺前駐車場を中心に「灯り」が点灯され、19時から畦町公民館では津軽三味線バンド演奏の公演。おでんの店夜の水族館も開館。

23日(日)は9時から開会。中央舞台で10周年記念式典と龍神太鼓公演。10時から舞台出し物(中央舞台)・子ども広場(おぎおんさまひろば)・バンコ市駕籠屋でござる等盛沢山のイベントが催されます。

今年はコロナ感染症に配慮して人気の「ダブお接待」「たまごフワフワ」がありませんが畦町産そば粉を使った「手打そば」のティクアウト畦町新鮮野菜や食べ物雑貨などのバンコ33店舗、初企画の「駕籠」(乗せるのは低学年の小学生)、ミニSL運行、「まるごと植物園・樹木巡り」が登場します。

出し物舞台は例年の場所ですが、業者が設置の規格アップ。出演は記念式典の龍神太鼓(9時台)に続き10時からは、三味線民謡アカペラ男性合唱ガマの油売りサックス四重奏韓国伝統芸能サムルノリプリンセスカグラジャパン二胡演奏オカリナ演奏沖縄島唄ポップスと多彩です。

写真コンテストも実施します。祭りで撮影した写真を現像(2L)、またはデータで事務局まで(e-mail可)。締め切りは11月6日(日)。住所氏名電話記入のこと。後日優秀10点を選出、表彰状と記念品を差し上げます。

◆燈籠12基塗り替えました

2013年(平成25)、故桜井良行さんに寄贈して頂いた12基の燈籠は宿場町の雰囲気を作り出している重要アイテムです。設置以来1度、塗り替えをしただけなのでだいぶ色褪せていました。3年振りの宿祭りにはきれいになって登場させようと、9月10・11日の両日で、回収・清掃・塗り替え・再設置を行いました。

暑さの中、作業参加の皆さん、ありがとうございます。

畦町の四季11― たまには立ち止まって足下を見る 豚まんか!  小田雄一

日暮れも早くなり夜ともなれば虫の合唱、スズムシの澄んだ鳴き声も聞かれる。さあー稲の収穫だ。大明神橋を渡り少し下った先の道の真ん中に白くて丸い豚まんくらいの大きさのキノコがニョッキリ出ている 「オニフスベ」だ。フスベはこぶという意味で直径50センチにもなるという。別名「キツネノヘダマ」とも言われる。畦町から八並に向かう上り坂を昔から「へこき坂」というが(吉田純子さんより聴く)、その辺りを探すとヘダマが沢山あるかも?

アナグマ後日譚、9月号のアナグマの威嚇の相手はどうも野良猫の子と思われる。庭の茂みからかわいい子ネコが出て来た。数日滞在し、親猫が来てそれから姿を見せない。ひととき心がやすらふ(古語)ことができた。もう少し居てほしかったなー。

あおいイノセントの世界へようこそ(6)―佐々木 勉

似てきた・・。朝がやってくる。起きようとわが身の足元を見るともなく観る。太もも、脛(すね)、足首、足のすべての形相?が親父の足の姿そのものと似てきているのだ。こんなところに、親父がいた。ひとは、歳をとり似てくるものは、顔つきばかりではないのだな・・。

♬~知らぬ同士が小皿たたいて チャンチキおけさ~おけさせつなあーや ヤルセナ~や♬三波春夫の唄だった。親父は酒が好きだった。弱いくせに、多分、酒の雰囲気が好きなひとだった。30軒に満たない東北の小さな農村。村で何かの寄り合いがある日は、小学生の私は少し気が重い。

親父は公民館から直ぐには家に戻らない。誰かの個人的な相談事、悩みを聴いてあげるのか、誰かさんちに行って、話が終わると、必ずといっていいほどお酒を頂くのだろう。“さあさあ、モッキリつけろ。”(お酒、一杯準備しろ)というその家の旦那の掛け声に甘えることになるのだ。へべれけになって、千鳥足になる親父を迎えに行き、連れ帰るのは四人兄弟の三番目、必ず次男坊主のわたしなのだ。日が暮れて、晩飯時になっても、親父は帰らない。

母から、「つとむ、父ちゃんむげさ(迎えに)行ってこ!(行って来なさい)」となる。しかも、どちらのお宅を訪問してるかなんて、わからない。あての無いまま、勝手に想像して、今日はどこの家にお邪魔してるのだろう?と勘を働かせて二軒三軒当たってみるのだ。「あら、つとむちゃん、父ちゃんむげーさ(迎えに)来たのがー?」とどの家でもニコニコ迎えてもらう。(ああっ、今日はここか!)卓袱台にはたくさんのつまみとお酒が載っていた。そのうち、唄がはじまるのだ。酒は涙か溜息かの、古賀メロディーから始まって美空ひばり、望郷の唄、そして、三波春夫、春日八郎、三橋美智也へと続く。親父は私と違って音痴ではないが・・。ガダルカナル島で戦死して、骨のかけらひとつも帰らなかった親父の兄、眉目秀麗の角五郎おじさんにそっくりだという、三波春夫の唄が出るころ宴は佳境なのだ。

どういう意図があったのか、なかったのか知らないが、父は小さな子供の私たちに、戦争の話しを沢山した。志願兵として、陸軍に入り(海軍志望が体重か何かが少し足りなくて)、満州から、最後は沖縄へ。本当は死んでいたわが身の偶然を語った。

満州から台湾へ行く途中、父の部隊は沖縄に降ろされ、その後父の乗っていた軍艦は米軍の攻撃で沈没。父の体には弾の痕があった。食料もほとんどなく体の傷にはウジ虫がわく。夜に、海に傷を消毒に浸かる。通り道にある民家のおばあに声を掛けられ、食べ物を頂くようになる。そこの婿にならないかと誘われたらしいが、末っ子の自分を田舎のお母さんは必ず生きて帰って来ると待っているから、故郷に帰りますと。(あ、俺は、沖縄で生まれることがなくなってしまった・・のだな。)

このおばあは後々NHKの終戦記念番組に出ていて、父は「あのおばあだべ!命の恩人だ。」と一緒にテレビを観ていて叫んだことがあった。(ん?このおばあがいなければ、今の私はこの世に存在しない!)⁂写真は小学校2、3年頃の筆者。


第123号 2022.10.1 務局〒811-3202福津市畦町368 岩熊寛 方
☎080-9244-5128 メール hirohiro@jt2.so-net.ne.jp
フェイスブックはこちら

2022年8月30日火曜日

保存会便り第122号

10周年記念第8回畦町宿祭り―10.22・23日開催!

保存会―9月の行事

9月1日(木)
保存会便り122号発行
9月04日(日)
秋そば中打ち 9時現地
9月10日(土)
そば処畦開店(要予約)
9月11日(日)
駕籠チーム作業 9時半より公民館
燈籠整備、塗り替え作業 8時半より公民館
9月26日(月)
ふわふわ会②練習会 小室宅

⁂畦町宿祭りポスター・チラシ発行予定

8/5・16―お祇園様池渇水対策!

5日の2回目「水入れ」の時まではうろちょろしていた食用蛙も、16日の3回目の水入れでは姿を消していた。「この池に残っていたら、生き抜けない」ときっと感じたのだろう。

軽トラ3台で500ℓタンクを乗せ、久末の給水塔まで3往復して、お祇園様池は満水に。アカハライモリは姿を見せないが、メダカやアメンボウは生きている。作業従事の8名の皆さん、ホントにありがとう!

7/23・8/10花チームこつこつと「畦町まるごと植物園」づくり進める!

フジバカマ・ハナシノブ園(7月23日)の整備作業とヒマワリの種まき。そして育ったヒマワリ苗の移植(8月10日)と軽トラに乗せての配置作業を行いました。

花で町筋や巡回コースを飾るのには「お世話」を含めて日頃の管理が大変。花チームの皆さん、そして水やり当番の皆さん、頭が下がります。ありがとう。

◆秋そば種まきーソバボランティアのみなさんお久しぶりー!

21日の日曜日、八幡宮裏のソバ畑(小田善彦さん提供)に新規の参加者も含めて約20名のソバボランティアの皆さんと保存会会員が集まり、9時から11時過ぎまで、10数畝に秋そばの種を蒔きました。1畝に3条仕立て。

深夜にかなりの雨が降って、ひょっとしたらできないか、と心配しましたが、全員の「やる気」で作業完了。蒔いた後は周囲に兎除けのネットも設置。最後に仲良く「集合写真」撮影(撮影者末廣)。

先立つ7日の日曜日は種まきの準備作業。炎天下に半日かかって、前田成一さんがソバ畑の耕耘をやってくれました。草丈もそれなりに伸びていたので、1畝3回の耕耘と丁寧な仕事ぶり。トラクターの運転は誰にでもできるものではありません。本当に助かりました。感謝です。

◆下町掲示板入れ替えました

設置以来一度も取り換えなかったので、色があせてほとんど見えなくなっていた下町掲示板。7月25日の月曜日、下町役員の薄紀文・吉田安廣の両名に櫻井一・岩熊寛の2名お手伝いで、畦町レトロ写真の入れ替え完了。

古い郵便局・旧松井六男さん宅・畦町青年団の花見・吉田安廣さん宅新築風景(今は竹林に覆われて隠れてしまった、お墓に上る丘陵が見える)・お寺前から下町方向家並み、などが飾られました。どうぞ楽しんで下さい。

◆駕籠屋でござるー畦町宿祭りに「駕籠」登場!

10月22.23日の第8回畦町宿祭りに向けて、駕籠を作っています。写真のように大まかな骨格は完成。

津屋崎で活動する「津屋崎竹細工同好会」の山田・鶴田のお二人が、駕籠作りチームに参加し、知恵と技術を提供・指導してくれています。祭りでは小学校低学年を乗せた「駕籠」が街道にお目見え予定。

畦町の四季10― 熟して甘い山の贈り物(イヌビワ)―   小田雄一

高宮山の麓 字名鳥巣(⁂とんのす)の南東側一帯をゆうげ(夕景?)と呼んいるが由来は分からない。

私の散歩コースである。そろそろイヌビワの実がなっとらんかいなと雑木の中を探すと黒光りし熟れて密があふれ出した実を見つける。季節の山の恵みを一つぶ頂く 甘い! 果実は10月まで生り続ける。イチジクの仲間でジャムになる。

庭にアナグマの幼獣三匹が訪れた。人を恐れず落ちた柿を齧ったり落ち葉をあせったりしていたが、急にフォフォと鳴いて前足で地面を叩き始め何かを威嚇している。その仕草がなんともかわいい!その後お隣との「すあい」(⁂家と家の間の隙間)を抜け上段(うえんだん)の方に姿を消した。

畦町地名考―「つゆじゃく」の思い出⑰・高村先生その16―畦町太郎

昭和14年、弟の高村純医師が死去。福間の高村病院、経営大ピンチ。直嗣先生はこれにどう対処したのか。

弟死去後、直嗣医師は畦町と福間を掛け持ちして診療に当たることとなった。その為畦町の高村医院が休診状態にもなる。畦町の古老はその折のことを「高村医院はいっとき福間にあったと」とか、「畦町に、高村医院がないときがあった」という風に伝えている。話のニュアンスからして「休診状態」は結構長期間だったと推測される。

この時代のことが『筑前宗像の定礼』(井上隆三郎著)中の「三 仁術の碑(畦町区)」に触れられていて、とても興味深い。

―故郷を離れずーの小題がついていて、畦町を含めた山村の定礼も、内殿区を除いて、昭和十五、六ごろ戦争で廃止された説明の後に、「戦後、彼(⁂直嗣先生)は六十歳を超えていたが、ひところ、彼は『畦町を去るだろう』とされていたときがあった。」と記述。

その噂の元は「畦町から四㌔くらい離れている福間で開業していた弟が死に、跡を継ぐ人がいないため、彼はある日は畦町で、ある日は福間で診療していた。そして、福間は人口も多く、医院は国鉄駅近くの一等地にあったからである。これは、昭和十二年ごろから昭和二十二年ごろまでで、丁度支那事変から戦後にかけてであった。このころ、いつしか長老格になった彼は、郡医師会会長を勤めた(⁂昭和13~17)こともあった(右は『宗像郡医師会史』掲載の第五代会長高村直嗣の写真)」。

続けて「しかし、人の噂とは逆に、彼は格段に条件のよい福間の病院にケリをつけると、人も疎らな故郷の村に安住した。彼を医師として育てたともいうべき定礼の山村は、彼がいなければ無医村であったからである。」とし、昭和22年ごろ、直嗣先生が畦町の高村医院に復帰したことを記す。

筆者は、昭和22年、直嗣先生に命を救われたという畦町在、薄紀文さんの話を先日聞いたところでもある。 薄さんは小さいころからよく発熱する体質だった。生まれて来る折、へその緒が首にまきついて、産婆さんの手には負えず高村先生の手を借りた。そんなことが影響していたのだろうか。

昭和22年(自宅が23年に火災に遭ったので、年号は間違いない)、小学生1、2年の頃、自分がふっと目を覚ますと、兄弟姉妹がそろって自分を見守っていた。きっともう臨終と考えて集まってきたらしい。高い熱が出た病名は憶えていないが、高村先生から鎌の柄ほどもある大きな注射器でカンフル剤?を打たれたのは記憶にある。

「福間の病院にケリをつけて」の内容を『筑前宗像の定礼』著者の井上隆三郎先生(⁂医師)は述べられていないが、それは直嗣先生の長女千賀子に婿養子を取り(高村智男医師)、福間の高村医院の診療を引き継いでもらったことを指している。

高村智男。初登場の名前だが、『宗像郡医師会史』に写真が残っている。向かって左端が智男医師。その右が高村直嗣医師。


第122号 2022.9.1 務局〒811-3202福津市畦町368 岩熊寛 方
☎080-9244-5128 メール hirohiro@jt2.so-net.ne.jp
フェイスブックはこちら

2022年7月29日金曜日

保存会便り第121号

10周年記念第8回畦町宿祭り―10.22・23日開催!

保存会―8月の行事

8月1日(月)
保存会便り121号発行
8月20日(土)
「そば処畦」開店(要予約)
8月21日(日)
秋そば種まき 9時より現地
8月22日(月)
睡蓮忌㉜世話人会―西法寺

6/24―畦町ガイド2回目実施!

畦町ガイド研修の2回目は旧駒井酒屋の大徳利・伊能忠敬畦町測量の立石辻・月が森池・博労岩熊作右衛門翁生前墓・本木西法寺筑前竹槍一揆犠牲者井上勝次墓などを事務局長の案内で、研修しました。

参加者は少数でしたが、後世に畦町の歴史遺産を伝える貴重な活動です。

「そば処畦」500円そば、盛況―8月は20日(要予約)ー

7月16日「そば処畦」は畦町公民館で開店。お客様18名。次回は8月20日の土曜11時半です。予約の申込みは事務局へ。

7/14―第6回睡蓮忌―井上勝次の150回忌に南無阿弥陀仏

筑前竹槍一揆の犠牲者を追悼する「第6回睡蓮忌」が、犠牲者井上勝次墓のある本木西法寺で開催されました。

今年は明治6年7月14日の命日から数えて150回忌の節目。参加者は40数名。原﨑福津市長も公務終了後駆け付け、熱のこもったご挨拶。写真は「吟詠道 鶴洲流福岡吟詠会」による井上勝次追悼の創作詩吟奉納。

◆お祇園様池渇水対策大作戦―アカハライモリもおお喜び!

梅雨があったような無かったような。そして炎暑の日々で、3年前と同じく、お祇園様池の水が枯れて来ました。小川から入り込む水が止まり、下からの湧き水も水脈枯渇と思われます。

そこで18日(海の日)8時半から「渇水対策大作戦」に、取り組みました。参加者15名。久末ダム下の給水塔から4基の大タンクに取水。軽トラ4台でお祇園様池迄ピストン輸送。写真のように2基を並べて塩ビパイプで池へ放水。

水の補給作業の他に小川からの水取り入れパイプの詰まりを直したり、池と周りのゴミ、草木の整備作業も。

2時間超の大作業でしたが、お陰様にて池の水も満々に。作業中、ザリガニは出て来ましが、一番大事な「住人」のアカハライモリは見当たらず。水が枯れて「死に絶えた?」との疑念に、生き物博士の小田雄一さん、「魚見屋(うおみせや)館長」の渋田正嗣さんが「心配ないよ、両生類だからしばらく山手に避難しているだけ。水が満ちたらまた帰ってくるよ」とのホッとするお話も。

最後に「まるごと植物園」の末廣さんが「オツカレサン」の集合写真を撮影して保存会フェイスブックにアップ。みんないい顔してますね。

◆7/8―世界一小さな蚕博物館も大掃除

お祇園様の話題をもう1つ。10日、お祇園様祭典(14日)前、3組は恒例のお祇園様整備作業でした。

その折、「猫の手加勢人」の末廣公香さんも加わって、鳥居前の赤レンガ造り「世界一小さな蚕博物館」の内、外の掃除を実施。右の室内写真のように「きれい・すっきり」と変身。写真には主の「まゆこちゃん」がいませんが、後日きれいに「洗濯」(岩熊久代さん協力)されて復帰をしています。

◆秋そば種まきーいよいよ8月21日(日)9時より実施―
ソバボランティアの皆さん、お宮裏ソバ畑現地集合ですよ!

あおいイノセントの世界へようこそ(5)―佐々木 勉

6月は忙しい月。6/15と6/23といえばデモに行く。デモはもう、死語になっている。なったって、一向に構わないけれど。むかしむかし、佐世保エンタープライズ入港阻止。東大安田講堂機動隊導入。陥落。加藤一郎学長の意を無視しての入学試験中止。全ては時の政府の政治介入。樺美智子さんの死。沖縄“慰霊の日”って誰が何のためにつけたのか、そして今なお逆なでする。市中に繰り出す時は、円山公園で集会。そのあとの祇園八坂神社前の石畳はあたかも、パリのカルチェ・ラタンそのものと思われ、何十年も昔のパリ野郎、パリジェンヌと肩を組み、60年代から70年代、そして80年代にかけての政治の無力、世の中のひとりひとりが抗い、学生は大学での自治自由を求めて、全ての世代の先達と邂逅する日であった。そんな火照りが微かに残っていた。あ、ここが荒神口。高野悦子さんの「二十歳の原点」シアン・クレール(思案に暮れる・・からか)という、1階はクラシック、2階はジャズ喫茶。かろうじて残っていた。ならば、大学の思想を体現する頂点は京大時計台前を制すること。同志社大学全学闘争委員会の面々は、「同大学生会館」から赤ヘルに赤手拭で烏丸今出川駅へ。静かにチンチン電車に乗り、「一般」市民(こんな呼称はあり得ない)に、迷惑をかけぬよう京大百万遍までおとなしく進む。その市民も赤ヘルに竹竿を観ても驚きもせず、時に話しかけてくる。いつの世も、けったいな街や、京都は!!京大前、百万遍交差点には立て看板が所狭しと並び、敢えて去勢される前の、一時代そのものであった。目指すはやはり、京大西部講堂の堂々大看板であり、あの時計台前。ここで情宣、アジテーションをする者たちこそが認められた現・状況であったかも知れぬ。ここで座り、ケツの温かみを地に届ける者たちこそ、祝祭に選ばれし貧しき者たちだった。此春寮は人を差別しない。区別もしない。思想にて、右だ左だといいたいならその前に、お前という人間がいて、そして真ん中もどっちつかずもあり得る存在。いわゆる寮運動なるものに参加せずとも寮生であることは尊重された。佐賀の不動禅少林寺拳法のお兄さん、古都金沢市出身の茶道部の兄貴など右寄りそのもの。皆故郷を出て学びに来た輝かしきオノコたち。相手をひとりの人として認め、お互い尊敬しあっている。月に一度の寮会だけは3階の礼拝堂で行う聖なる討議の場。昔話をすれば、東大生でシャンソン歌手デビューする加藤登紀子さんの相手はこの寮出身の藤本敏夫。文学部新聞学科専攻であった。ちょっと前なら、フォークソングの神様の岡林信康は神学部の先輩。やはり牧師の息子。♪わたしたちの望むものは、生きることではなく♪わたしたちの望むものは、絶えず問い続けることなのだ~♬と、己が言葉で謳った。私はといえば、此春寮にとって何十年振りかの神学部生ということで、寮母さん(ママチンと呼んでいた;本名磯野文枝)から可愛がられ、ある日呼ばれて玄関脇のママチンの部屋に行くと、「あなた、聖書は持っているの?讃美歌集は?無いわよね・・。聖書地図は?」といわれ、さすがに聖書は持っていたが、(聖書地図って?何に使う~?ん?)ただ黙って頂くことにした。当時すでに40年以上も寮母をし、もう60歳台であったろうが、本当の寮のぬしはママチンだったのかも知れない。そしてついでに大学側の寮のお目付け役、厚生課の対応窓口に5回生だった前川先輩から私は後任として命を受け、度々会うことになる。(俺、二浪して年だけは二十歳で、顔つきも老けているが、まだ1回生なのに大丈夫か?・・。)厚生課の課長は30歳台の紳士然とした人だった。寮のあれこれを聞き出すのかと思いきや、ただただ文学、歴史、哲学、美術、音楽などなど。そして酒と泪と男と女のような、ようなもので、蓮の葉の一粒の水滴のようなはなし。三条河原町のリラ亭で、たびたび朝方まで語り、転がすように酒を吞んだっけ。ああっ、ほら、もうすぐ夜が明ける・・。チンチン電車の始発が来るよ~。

(続く、まだまだ・・佐々木勉;記)

畦町の四季9― もの思いを忘れさせる草(ヤブカンゾウ) ― 小田雄一

朝 カナカナカナとヒグラシが鳴きお大師様の方から冷気が降りてきて心地良く目覚める。田んぼでは、1㎝程のかわいいヌマガエルやアマガエルが跳ねる。オタマがカエルになったのを確認し田を干し上げる。

土手にはひと際鮮やかな朱色のヤブカンゾウの花が咲いている。別名ワスレグサともよばれこの草を身につければ物思いを忘れさせると言われる。思い煩うことがあればお試しを。乾燥した根を煎服すればかいように効く。不思議なことに染色体が33、三倍体で実を結ばないという。何のために花を咲かせるのだろう?

追申 小田守正さんが畦草刈中カルガモの卵11個発見!残念ながら見通しが良くなりカラスが食べてしまったとのこと。カルガモ親子の行進が見られず残念!!


第121号 2022.8.1 務局〒811-3202福津市畦町368 岩熊寛 方
☎080-9244-5128 メール hirohiro@jt2.so-net.ne.jp
フェイスブックはこちら